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ソフィア総合研究所の考え方

「トリニトロンブラウン管 大同窓会」


ソニーのトリニトロン・カラーテレビのことは、ほとんどの皆さまがご存じのことと思います。そのトリニトロン・カラーテレビでは、実際の放送画面は、トリニトロン・カラーブラウン管のスクリーン上に映し出されています。したがって、トリニトロン・カラーブラウン管は、トリニトロン・カラーテレビにとって、もっとも重要な部品ということになります。私は、ソニー在籍中の十数年間、このトリニトロン・カラーブラウン管の開発研究から最終の生産まで、関与してきました。そのような関係から、今年初めに次のような手紙を受け取りました。

「(前略)ご承知のように、ソニーで一時代を築いたトリニトロンも新しいデバイスの登場とともに、昨年終焉を迎えることになりました。そこで、ブラウン管の開発から生産に亘る広範な分野で苦楽を共にされた仲間で一堂に会し、有終の美を飾ろうという話が持ち上がりました。ここに『トリニトロンブラウン管 大同窓会』を企画した次第です。

ご多忙中とは存じますが、久方ぶりの旧交を暖めるためにもご参集下さいますようご案内申し上げます。(後略)」

ということで、東京・五反田で開かれた「大同窓会」に参加しました。

トリニトロン・カラーブラウン管が発明され、生産が始まったのが、1968年のことですから、懐かしい仲間との四十年ぶりの再会となりました。その席で、先輩の筆頭として挨拶をするように言われましたので、お話ししたのが以下の内容です。

「(前略)まずは、このような素晴らしい『トリニトロンブラウン管 大同窓会』を企画して下さった、桃井さんをはじめとする発起人の皆様に心から感謝を申し上げます。私は、トリニトロンブラウン管が誕生する前の揺籃期から、このプロジェクトに参加させていただきました。私のソニーにおける仕事の大半は、トリニトロンブラウン管とともにあったと言っても過言ではないかと思っております。それだけに、トリニトロンブラウン管が、時代の移り変わりの中で終わりを迎えることとなったのは、大変に残念でもあり寂しくもあります。そのような気持ちを抱いていただけに、今日このように、トリニトロンの開発や生産に携わられた皆様とお目にかかれることは、大変に懐かしく、嬉しく、感謝しております。今日のこの場を最高に楽しませていただきたいと思っております。

さて、トリニトロンブラウン管が、当時の電子管開発部で、吉田部長と大越さん、宮岡さんのトリオで発明され、量産化することが決まったのが、昭和43年、1968年のことであったと記憶しています。当時、大崎工場にあって、クロマトロンブラウン管を製造していた電子管製造部に、吉田部長が乗り込んで来られ、組織も一変されました。フラットな組織で運営するという吉田部長の方針で、電子管製造部には課が設置されず、各工程ごとに係が設けられ、責任者としての係長が任命されました。

トリニトロンブラウン管の心臓部である電子銃の製造工程は、荒木さんと、今日の発起人代表の桃井さんのお二人が担当され、絵を出す蛍光面の製造工程は不肖私が担当させていただきました。この他に、アパーチャーグリルの製造工程、排気工程、最後の完成管の検査工程、それぞれに担当の方が配置されましたが、すべて30代半ばの若い技術者ばかりでした。各々の方が自分の受け持つ工程の全責任を任されていました。今から思えば、社運を懸けたビッグプロジェクトを遂行するのに、若い私達をよくぞ信頼して任せて下さったと感謝しております。

それだけに、一人一人が、存分に力を発揮することができました。一年余の血の滲むような努力の結果、トリニトロンブラウン管の生産は軌道に乗りました。その後も紆余曲折はありましたが、最後は、コンピュータグラフィックスの分野では、無くてはならないデバイスとして、世界の過半数のシェアを占めるに至ったことは皆様ご存じの通りでございます。次の世代に道を譲ることになりましたが、トリニトロンブラウン管が、技術の歴史、文化の歴史の中で、輝かしい一頁として末永く語り継がれることを信じております。

あらためて、このような素晴らしい事業に参画することができた幸せを噛みしめ、今宵一夜を、ご参加の皆様とともに楽しく過ごしたいと思います。

最後に、今日まで、トリニトロンブラウン管を守り、育て、発展させて下さった皆様方に心から感謝申し上げるとともに、重ねて、今夕の企画を推進し、実現して下さった発起人の皆様、ご準備をいただいた皆様方に感謝の言葉を申し上げて、私のご挨拶といたします。ありがとうございました。」

その夜集まった、かっての仲間と共に、楽しい思い出にひたることのできた、素晴らしい数時間でした。